鏑川に沿って走る、国道254号線周辺に下位段丘が続きます。
約3万年前(後期更新世)にこの高さを流れていた鏑川が、氾濫する度に泥や砂を運び平坦面をひろげ下位段丘面を覆っていきました。
段丘礫層
段丘面を作る地層の中には、角の取れた丸い石が入っています。
この丸い石は、かつて川が流れていた頃に運ばれてきたものです。
馬山の地形と山城跡
馬山地区の南部には「黒内山」や「稲含山」など、関東山地の一部となる山々があります。関東山地から流れてくる鏑川の支流は、南から北方向に流れて、段丘を横切るため、馬山地区には孤立した丘が点在します。このような所は、見通しもよいことから、戦国時代には山城が築かれました。
特に馬山東城は、北側を鏑川の段丘崖、東側は横瀬川が作る段丘崖に囲まれた天然の要塞でした。
地図データは国土地理院の電子国土WEBを使用
鏑川の流路の変遷
鏑川は、約15万年前に上位段丘ができた頃、石淵のあたりから横瀬に流れ北東の下鎌田に向けて真っ直ぐに流れていました。約3万年前に低位段丘ができた頃には安楽地、若宮から大塚あたりに流れを変え、1万年前頃になると、さらに北側の現在の位置に移り、あらたに谷が削られ始めました。
不通渓谷や上流のはねこし峡はこのころからできてきたものです。
「下仁田ジオパークガイドブック まやまコース」より