令和6年は3月23日(土)、24日(日)の2日間開催される。
山際稲荷神社は、徳川時代の中ごろ京都伏見稲荷神社に勧請(かんじょう)して 保食神(うけものかみ)の分社を得て稲荷神社として再出発とあります。300年位前から農民大衆に尊敬された神社はないとあり、縁日には近郷近在より人々が雲集(うんしゅう)したとあります。この神社は町の盛衰(せいすい)にも関係があり、養蚕具や農具そして種苗・植木等が山際の市を通じて下仁田の各地に運ばれ、産業の神として霊験あらたかであった実績は、町の経済の根底となる大きな力と下仁田町史にも記載されています。
今のような山際の例大祭の形になったのはおそらく明治の後期から大正時代と思われます。
およそ200年前から現在まで氏子を初め町内有志の皆様方の神社に寄せる厚い崇敬(すうけい)の念と絶大なるご協力によって維持され、下仁田町に春を告げる祭りとして親しまれています。と、下仁田町史に記載されています。
初日の23日は、午後1時からお稲荷様を飾った山車がお囃子を敲き(たたき)ながら町内を巡行、途中区堺や要所で五穀豊穣等のお祓いを行いながら町内を練り歩きます。(今の山車になったのは昭和20年代です。)稲荷神は元来、五穀豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆(こうりゅう)・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。
2日目の24日は、山際神社社殿において、祭典典儀が執り行われ、町内外から関係者が昇殿参拝を行い、祈願祭が行われます。
一、商工業の繁栄
一、火災盗難厄除
一、交通災害防除
一、進学祈願
一、農産物豊作祈願
また、同日に山際神社境内において、早咲きの桜を期待し、恒例の春の山際開市が立ちます。また、最近ではお囃子披露が子供たちや若衆を中心に行われ境内に祭囃子が響き渡り賑やかに開市を盛り上げています。が、農具や種苗・植木と一緒に駄菓子屋・金魚等の露天商が何軒も出店し賑わっていた昔から見ると、最近は件数が激減し寂しくなってきていいるのが実情です。
過疎化に伴い人出は年々減少気味ですが、永い歳月、時々の人たちによって守り継がれてきた山際稲荷神社の祭典を有志のご協力を得ながら地元氏子が継承しています。
令和6年3月23日(土)
降雪のため中止
山車巡行
御祓い場所
13:00 山際稲荷神社出発
14:10 下町
14:20 東町
14:40 旭町
15:30 仲町
15:40 上町
15:50 吉崎
16:05 川井
19:00 山際稲荷神社到着
※天候、運行状況により巡行時刻の前後があります。
令和6年3月24日(日)
神事
関係者による昇殿参拝
開市は中止