参考文献
下仁田町ホームページ(下仁田町 2019)
「下仁田町史」(下仁田町 1971)
「下仁田ガイドブック」(下仁田町観光課 2016)
「下仁田戦争始末記」(下仁田町教育委員会)
「下仁田道」(群馬県教育委員会 1981)
「上州下仁田諏訪神社社殿の建築彫刻」(下仁田町商工会 2010)
「諸国道中商人鑑」(みやま文庫 1990)
「群馬歴史散歩 第183号」(群馬歴史散歩の会 2004)
「小坂坂峠道」(小坂坂旧道調査会 1995)
「上信電鉄百年史」(上信電鉄(株) 1995)
「下仁田町と周辺の地質」(下仁田自然学校 2009)
「街道の日本史 17.中山道」(吉川弘文館 2001)
「下仁田こんにゃく水車物語」(原田 喬 2019)
田島屋精粉工場は、1926(大正15)年から、1998(平成10)年まで蒟蒻精粉業を行っていました。創業時は日本古来の木製水車、1935(昭和10)年頃からはタービン水車で、112本の蒟蒻精粉用の杵を動かしていました。現在、水車は外され、水路跡と小屋、中には杵と石臼が残っています。
もとは別の場所でつくられた地層が、地殻変動によって、押し出され移動して、別の岩体の上に覆いかぶさり、その後風雨や川の浸食によって孤立した山々になったものです。そのため、クリッペの上部は約1億3千万年前の海底にたまった土砂でできた岩石(跡倉層)などですが、下部の岩石はそれよりも新しい時代に地下深くでできた緑色岩(変成岩)です。
下仁田の南側には、不思議な形の山がならんでいます。これらの山が国内でもめずらしい「根なし山」、またの名をクリッペといいます。(鎌抜山 、大山、御岳、大崩山、川井山、四つ又山)
祭神は建御名方神、八坂刀賣命、品陀和氣命で、古くは、狩猟農耕の神、武士の時代は軍神として、現在では、産業、交通安全、縁結びの神として崇められています。
創建は約400年前とされ、もともとは、八幡神社でしたが、戦国時代武田信玄の上州進行に伴い、小幡城主小幡尾張守が諏訪神社を勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)したとされています。
諏訪神社の豪華で精巧な社殿は江戸時代末期1837(天保8)年から1846(弘化3)年にかけてつくられました。
大工棟梁は、信州諏訪出身、社寺建築の大隅流大工矢崎善司が、拝殿・幣殿は、善司没後、善司の二男矢崎房之進昭房が完成させたと伝えられています。諏訪神社本殿は矢崎善司(没年1841(天保12)年)最晩年の代表作となります。
青岩公園をつくる緑色岩は、海底火山から噴き出した黒い玄武岩の溶岩や凝灰岩が積もってできた岩石です。地下深くに沈み込んだときの温度と圧力で、緑色の変成岩になったもので、一方向に割れやすく緑色なのが特徴です。